Edi Kante (エディ・カンテ) 訪問1
実際に彼の家を訪ねた実感として、このEdi Kante(エディ・カンテ)なる人物を一言で表すとしたら、この言葉以外に思い浮かばない。
長身ですらり伸びた手足。トレードマークの赤いフレームのオシャレな眼鏡。
去年コルモンスのレストラン「SUBIDA(スビダ)」で、Nicolo Bensa(ニコロ・ベンサ)の家族と伴にディナーを楽しんでいた際、偶然居合わせたEdi Kante(エディ・カンテ)が、僕らテーブルに挨拶に来たのだが、数分後には、突如ニコの奥さんを口説き始めたのには大変驚かされた。
幾つになってもレディとして接する、この陽気なイタリア男に、ニコの奥さんは大変好感を持っている様子。
翌日、ニコのカンティーナ(ラ・カステッラーダ)を訪ねた際、ニコの奥さんは電話1本で、翌日ブラジルへ旅行に出かけようとしているエディ・カンテのアポイントをセットしてくれた。(何か弱みでも握っているのだろうか?!)
何処にあるのさ、 カンテのセラーは??
Edi Kante(エディ・カンテ)のカンティナは、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州の州都、Trieste(トリエステ)にある。
ゴリツィアからの山道を抜け、アドリア海の海岸線を進むと、”DUINO城 ”という、古城が目に入ってくる。
更に、スロヴェニア方面へと向い、San Pelagio(サン・ペラージョ)という山奥の村へと入っていくのだが、これが非常に道が入り組んでいて、判りづらい。
嘗てこれ程までに、道に迷って辿りついたセラーは、他にない。
迷いながら、郊外の密集する住宅地の外れの細道を進むと、突如として採掘現場のような空間が広がる。
その採掘現場の中心に、曲線を帯びた白亜のセラーと、平屋建て家屋が並んで立っている。
やっと着いたぞ、カンテの家
僕らが訪問すると、愛犬、Medu(メドゥ)とエディ・カンテの奥さん、娘さん、+猫が出迎えてくれた。
当のエディ本人は、知人のカンティーナの依頼を受けて、なんと、エチケッタのデザインの相談にのっている最中。
彼は、どれだけ、マルチな才能を持っているのだろうか。
仕事がひと段落するまでの間、奥さんが内部をエスコートしてくれた。
初めに通された部屋は、エディ・カンテらしさを象徴する、実にアーティスティックなテイスティング・ルーム。
美大の工房な雰囲気で、美大出身者の僕としては、どこか懐かしい。
カンテとアート
壁を掛るジャクソン・ポロック「擬(もどき)」の抽象絵画は、カンティーナのフラッグシップワインである、「Selezione(セレッツィオーネ)」のアートラベルのモチーフになってる。
後に、エディ・カンテ本人に、この絵は貴方が描いたのかと尋ねたところ、「友人が描いた」と言ってしらを切っていたが、セラーの至る所に飾っている絵はどれも、同じタッチで描かれていて、どう見ても本人が描いたものではないかと、推測される。
キャンバスだけでない。
壁に油性のマジック・ペンで殴り書きがしてあったり、ボトルにも直に描かれている。
宇宙から謎の電波を受信してしまったとしか思えないような、不思議アートに囲まれている巨匠カンテだが、彼は「ワインとアートの融合」という、究極の美の姿を、本気で目指しているのである。
この部屋の至る所に、「Selezione(セレッツィオーネ)」のボトルや、友人やお気に入りの造り手達のボトルが置かれている。
カンテの古いエチケッタや、スラトニック時代のスタンコ・ラディコンのボトルもある。
地下醸造所へ
前述のように「ワインとアートの融合」など、常人の発想とかけ離れている。
まさしく「奇人」「奇才」の類だが、更にそれを裏付ける象徴的な「事件」といえば、固いカルソ(石灰質)の岩盤を地下13mも掘削し、地下3階・上部1階建ての醸造施設を作ってしまったことだろう。
テイスティング・ルームとプライベート空間を繋ぐ廊下の途中に、まるで核シェルターのような、地下醸造所へ繋がる階段がある。
むき出しになったカルソの地層に添いながら、螺旋階段を降りていく。
地下1階はボトリング・ルーム&瓶熟スペース。
カンテのボッティ(大樽)はヴェネト州のGarbellotto(ガルベロット)社製。
イタリアのワイン生産者の間では、このGarbellottoブランドの大樽は、とても人気がある。
事実、ゴリツィアの巨匠達や、ピエモンテ州の伝統的な生産者(ジャコモ・コンテルノ、バルトロ・マスカレッロ、カヴァロット等)は、このヴェネト州の会社の大樽を使っている。
Garbellotto(ガルベロット)社は、ヴェネト州のConegliano(コネッリアーノ)の県道沿いに、ある巨大な工場でボッティ(大樽)やトノー(上部開閉型木製タンク)、バリックを生産している、巨大企業で、ヨーロッパだけでなく世界中に輸出している。
巷では、この手の大樽のことを「Slavonian Oak」と言うが、実際は、スラヴォニア(クロアチア共和国の東の一国)やフランス、バルカン半島から樫・桜・アカシア・栗といった木材を輸入し、職人が手仕事で樽を生産している。
よく「スロベニアン・オーク」と、スロベニアという国で作られた特殊な樽のように、語られるが、それは間違いで、正しくは、「スラヴォニアン・オーク」である。
地下2階:醸造ルーム
石灰岩の地下室の内部は、鍾乳洞のように寒く湿気を帯びている。
夏でも、セーターは必需品だ。
地下の全ての階に、これまでリリースしてきた「セレッツィオーネ」のエチケッタの原画が絵画が飾られている。
地下3階:発酵・熟成エリア(イノックスとバリック・ルーム)
バリック・ルームの一番奥に、使用済の小樽の表面に、カルソの岩を接合させて創った「石琴」が置いてあった。
「ワイン」と「楽器」を融合させるなどという発想自体、もはや常人の理解を超えている。
因みに「セレッツィオーネ」を造る時に使うバリックは、ミディアム・ローストされたフレンチバリックの新樽とのこと。
一階
地上に面している1階(地下から見るとほとんど屋根裏部屋のよう)は、雑誌や販促物を収納しており、外部への出庫口となっている。
カンテの畑
一転、寒い地下から炎天下の地表へ。
畑はとても印象深いものだった。
畑は石灰岩をくり抜き、その石灰岩で石垣を造るかのように側面を囲っている。
囲いの内部には、カルソ地域固有の赤い土を敷いている。(酸化鉄を含んでいるため赤く変色する)
マルヴァジア(写真中央)とシャルドネの畑を見せてもらったが、この年(2007年)はトリエステは雨が多く、ゴリツィアやコルモンスの造り手達と同じように、結実不良が多く発生していた。
垣根と垣根の間の地面は「下草を刈ってしまったところ」と「生やしたままのところ」が交互になっている。
「今年は雨が多かった為に、このままでは葡萄が水っぽいモノになってしまうから、地中に溜まった水分を適度に下草に吸わせることによって葡萄の凝縮感を高めている」と奥さんは話してくれた。
「奇人」「奇才」でも、ワイン造りに対する妥協なき取り組みは、こんな繊細な畑のコントロール方法に現れる。
この年はピノ・グリージョは壊滅状態。
「ピノ・グリージョという品種は、非常に難しい品種で、良い年と悪い年の差が極端で、5年おき位のスパンで良い年と悪い年を繰り返している」とのことだ。
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